学術編集者とは、どういうタイプか

2015年2月3日(火)

学術編集者とは、どういうタイプか

..........ひつじメール通信とほぼ同文です。..........

編集者という仕事は面白いと私は思っています。人間にはいろいろなタイプがいて、まとまったことを主張しようとする人、指導的な立場にいて、指針となるようなまとまった意見を論理的、あるいは情熱的に述べる人。このタイプは、学者であったり、政治的な指導者であったり、思想家と呼べる人であったりするかもしれません。思想や知識ではなくても、料理人とか芸術家とか演奏家という人も近いかも知れないです。かなりおおざっぱに言っています。

それから、作られたものを享受する人、理解し、その内容に従ったり、無視したり、主張を受け止めて、受容する人。もっぱら、消費する人と言ってもいいかもしれません。観客的な人と言ってもいいかもしれません。よい観客はよい芸人を育て、よい客が、よいレストランを育てますので、受け取るということも、重要な社会的な意味があります。安いものにしか反応しなければ、そういうものだけになってしまいます。

ここで、言いたいことはその間(あいだ)の人のことです。おわかりのことと思いますが、そのことを言いたくて、この文章は書いているわけです。作る人と享受する人のあいだ。真ん中の人、というわけです。これは、何かたとえば、文句をいう人、助言をする人、手助けをする人、産婆でしょうか。作家的な人がいて、その人が何かを発言したり、書いたりすれば、それで作品ができるというふうに普通は考えるのかも知れません。でも、そのそばで助言したり、感想を言ったり、待っていると言って待っている人がいたりということがあって、その仕事の名前の一つが、編集者というものです。間(あいだ)の人は、少数派だと思います。

ポッと感想をいうだけなのかも知れませんし、こういうものが読みたいと伝えるということなのかもしれないのですが、そのことで、何かができあがるということを期待している、という仕事が編集というものです。

編んで、集める、ということなんですが、頭が切れて、仕切って動かすというタイプもいるでしょうが、もう少し優柔不断といいますか、煮え切らない性格のタイプの人もいます。理知よりも「側にいる性」というものを仕事にしたのが編集であり、編集者だと思います。その本を作りたい、というか、主体的に強く働きかける場合もあると思いますが、関心を持って「側にいる」ということが大事なんだと思います。側というのは、実際的な距離ではなくて、心理的な距離でもあります。それと、かたちにして仕上げるという、物理的な存在が好き。作り上げていく過程が好き。単に所有物というのとは違って、目の前に、物理的に存在するものとして、できあがっていくというのが面白いです。「モノへの志向性」でしょうか。

この二つを求めていくのは、なかなかたいへんなことです。ですが、私としては自分の性には合っていると思っています。合っているので、がんばれるのです。

学術書という世界は、好きですが、100パーセント自分で理解ができる対象ではありません。学者や研究者ではないのですから。でも、学問でも心に触れる部分があって、面白いと感じることがあります。それは理解とはちょっと違うでしょう。いや、かなり違います。そういう面白いなと思った接点を強く押すこと。もっと知りたいであるとか、このこととあのことは関係があるのではないか、関わりを持てばもっと何かが生まれてくれるのではないか、と。そういう気持ち、感性というものがあって、それを仕上げよう、仕上げてもらおう、という気持ち。

学術書の編集者は、一般的な書籍の編集者と比べて人数が少ないと思いますが、学術書の編集は魅力的だと思います。創造性のある著者や研究者とつきあうことができて、商売よりも学究を重んじているところですので、純粋な方、ひたむきさのある方が多いと思います。まだ、世の中に受け入れられているわけではなくても、新しいこと、より真実に近いと考えていることを提案していくという営み。多くの研究者の方は、ほとんど経済的な利益という点では無私の気持ちで研究しています。それは、私には人間として「美しい」営みだと思います。それらを支援できること。それが編集者として、特に学術系の編集者にとっては大事なものなのではないか、と勝手に思っています。この面白さは、売れる本をがんがん売るということや、一分野でスタンダードになったものをさらに他ジャンルを含めて普及させるという喜びとは違っています。ユニークな面白さと言えるでしょう。間(あいだ)の人は、少数派だと思いますが、その立ち位置としての喜びがあります。現在、求人中ですが、そういうことに喜びを感じられる人が来てくれるといいなと思っています。

一方で、作り手の立場の人、読み手の立場の人にはその間の存在が理解できないということはおうおうにして、結構あると思います。作り手でも、編集者の手助けを得たことがある人とそうでない人には分かりにくい仕事だと思います。理解されないという孤独というか、その状態に耐えられるのは、やはり、編集という仕事が、好きだからでしょう。軽くではなく、ある程度の重みを持って好きになれるということ。それが「気構え」でしょうか。

これはいろいろな仕事に共通していえることでしょう。好きなことを仕事にしているから、すべてが楽しいわけではないわけです。無理解や、困難、理不尽なことなどなどを一つ一つ、クリアしていきながら、なかなか簡単には利益をもたらさないことを工夫や助けや、さまざまな方法を使って乗り越えていくこと、そのためには、仕事をする人間としての「気構え」が必要です。その中で、間(あいだ)であることを喜べるということが大事です。

ということで、間に立とうと思える新人を募集しているところです。

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執筆要綱・執筆要項こちらをご覧下さい。



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