書籍の返品の意味

2014年3月19日(水)

書籍の返品の意味

出版社を営んでいる人は、返品の意味を理解しているべきだろう。つまり、出版社を経営している人とか、勤めている人でも分かっていないし、出版半可ライターも分かっていないことが多いが、それはまずい。注文を受けてから、発送するわけではない書籍は、返品が当然のこと発生する。注文を受けていなくても書店にならべるから、お店の人が知らない無名の人、マイナーなテーマ、人がいまだ知らないテーマのものが、編集者の発見と推奨とそれを売ることを決めた判断で世の中にでていく。これは出版の知の「投機」機能のために必要なことであり、創造性あるものを世に出すときには必要である。もちろん返品は経済的、物品的にもロスを産むので、押さえる必要がある。そのことを分かっているのならよいが、そうではなく、単純に受注商品の類推で語っているような無知性な発言が多すぎる。

私はよくたとえで言うのは、陶器作家の場合である。陶器作家になって、陶器を売ることを考えてみてほしい。陶器作家になるには、まず、修業し、陶器を作る。でも、最初から売れるということはない。師匠や紹介で誰かに口伝えしてもらったり、個展を開いたり、美術展に出品して、人の目に触れたり、賞を取ったりして、その陶器の金額に見合う、価値があると世間的、業界的に認知されてから、陶器は売り物になる。しかし、10個作って10個売れるということがあるのか?

出版という仕組みは、書き手が作って、それを編集者が商品になり得ると判断するだけで、ひとまずの市場に送り出すことができるという、短絡的なプロセス。場合によっては内容は良く分からないが、こんなに熱心なら、ひょっとすると受け入れられるのではないか、などとあまり根拠のない思い込みで本にするということもある。言論の場合、様々な人々の発信であるから、ショートカットな仕組みが、必要なのだ。欠点として実際には受け入れる人がいなくて、商品としてなりたたずに返品になってしまうということが起きてしまうというロスがあることだ。しかし、あらかじめ決められていない、評価の定まっていないものを世に出すという社会的な機能の方が重要ではないのか? 返品は仕方がないのです。いかにそれを少なく押さえるかは、ビジネスとしては重要だが、返品率ゼロを目指すというのは、受注していないものを売る商売としてはありえない。

売れるものを、あるいは100パーセント売れると分かっているものを世に出す、というのはつまらないと思う。

学術書は読者市場が小さいので、助成金をもらったり、教科書を出したり、ご本人にもプロモーションや販売を手伝ってもらったり、という副次的な支えを市場外の要因として重要になる。しかし、受注生産ではないという点では、やはり出版という営みの内側にあると私は思っています。

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