「ワークショップ「社会に参加していく市民としての言語教育」のご報告―私自身の社会的参加について―

2008年7月7日(月)

「ワークショップ「社会に参加していく市民としての言語教育」のご報告―私自身の社会的参加について―

「ワークショップ「社会に参加していく市民としての言語教育」」ということでタイトルは大きなテーマであったので、どうのようにつながるのか、興味津々でした。佐藤慎司先生たちの会の運び方が、とてもうまくて、和やかな中でもいろいろと議論を出し合えるという雰囲気だったと思います。

最初に社会に参加するというどういうことか、となりの人と話し合ってみようということを言われて、私は困惑しました。何と新人の板東と組まされるとは。出版人として社会に参加しようとしている彼女とそれを見守り、評価をするという立場にいる私がそのテーマで話し合うのは、なまなましくてどうもむつかしいです。とても頑張ってはいますとともに、さらに越えなければならないこともあるわけですので、私の個人的な話をしたいと思いました。そこで、私は、自分が小学校の時に転校した話をしました。小学校5年の時に東京の武蔵野市から埼玉県の上尾市に引っ越して、それで転入した時の話。私にとっては大きな体験です。引っ越しをしていなければ、たぶん、違う人生になったのではないか、などと思うことがあります。新しい社会に参加するということはとても難しいことだと思います。

会社に入ることもそうですが、はじめての店に行った時などもそうです。何に気を遣ったらいいのか、この店でよいお客と見てもらえるようになるのはどうしたらいいのか、というのは心地よい空間をつくるためには重要なことです。でも、そう思わなくてうち解けることのできる人もいると思います。少人数でしたが、それだけにざっくばらんとした一方で実のある内容であったと思います。

文化を教えるとはどういうことなのかということが、ワークショップのテーマでもあったようです。ある社会に入りつつあると思われる人々をいざなうのが言語教育でもあります。これは文化に染まらせるという要素があり、単純にその文化に取り込むということを安楽に考えることができるわけではありません。実際、出版人として若い人を育てているということを考える時、出版文化を教えていることになります。その職業人としての誇りや生き甲斐や、やりがいやスキル。語学クラスでの教育・学習とまた違った面があると思いますが、出版人も単純な職業人ではないという点もあります。批判力・創造性が必須ですが、そういうものを持てと教えることができるのか、入り口になる本にはこんな本があってと読みなさいとすすめるのではなくて、自分で探して読むのを待つしかないところもあります。個別の関心を重要視しつつ、あるフヘン的なものも重視したいという中での参加、あるいは参加を呼び起こすことというのは、興味深いことであると思います。もちろん、会社だけが社会ではありませんが、そこをまずくぐり抜けることができることは重要であって、適当になどということはできないことです。

出版という社会があるのか、それはどのようにして参加していくことができるのか。周辺的に参加していくとしてそれはどのようになっていくことなのか、考えることはたくさんあります。

ワークショップの紹介というよりも、自分自身に関わりのあることについて語ってしまいましたが、共同体に参加することは喜びでもあり、きついことでもあります。『発話者の言語ストラテジーとしてのネゴシエーション行為の研究』とも関わる重要なテーマであったと思います。つけくわえると本を出して世の中との関わりを作り、ある時には世の中に影響を与えるというのが、出版人としての社会への参加の一つでもあると思っています。出版人としての誇りを持ちたいものです。


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