2005年8月11日(木)
2005年8月11日(木)

情報活動支援業としての図書館

図書館のコアコンピテンスは何かと考えた時に、大きな誤解があるような気がする。図書館に勤めている人に、図書館の中心的なサービスとは何かと聞いたら、なんと答えてくれるだろうか。情報提供、情報提供サービスと答えるかもしれない。私はその考えは、間違っていると思う。もし、情報提供なら、自分が情報を手にいれることができるのなら、そのサービスは必要がないことになる。情報自体を蓄積しておくことなら、情報がどこかにアーカイブされていて、そこに利用者が、自力でアクセスできるのであれば、地域地域に図書館は必要がないことになる。国会図書館の中に情報のデータベースが一つあれば十分だ。

インターネットが情報源の中核になりつつある時代には、図書館も司書も必要がないということになる。これは出版社も書店も同じである。情報に誰でもアクセスでき、情報を誰でも自由に取り寄せることができるのであれば、出版も書店も図書館も必要がない。

問題は、生身の人間である。人間は万能な機械ではないということだ。人間の心理的な問題だ。情報を探そうとするとき、不安になる気持ちは無視して良いのだろうか。(自分で、自分の背丈から足の長さまで分かっている人がいたとして、その人が仕立屋に行って、自分でスーツの設計図を書いて渡してくるということを空想してみてほしい。とてもおかしいことだと思わないだろうか。服の大きさから、生地から、デザインまで、仕立屋さんと相談して決めるのではないだろうか。自分の身体の寸法が分かっているのであれば、情報のアシストが必要ないという発想はおかしいと思うが、インターネットと検索エンジンさえあればいいというふうに感じる人が多いのはどういうことなのだろうか)情報を探す人を元気づけ、支えること。情報を探す方法がわからない人に情報を探す方法を教えてあげること。あるいは、その人が十分に情報活動ができるのであれば、セカンドオピニオンを出してあげること。出版社であれば、重要な課題と世の中から抽出し、ひとつのパッケージとして、世の中に送り出すこと。書店は、送り出されたものの中から、今という時間にあった本の配置という情報の構成を読者に提示すること。図書館は、今にとらわれないで、その人にあった情報活動を支援することにある。

情報そのものではなく、情報活動を支援すること。刊行されている書籍の中から、適切な書名を探して、提供することから、利用者の持っている謎に対して、その答えを利用者が見出すための援助を行うこと。関連する本や情報源を探して、それを知らせる。本から、本と本との間(複数の本を見ることで示唆を受けること)の提供に変わった。

単に、書き手が書いたものを検索して届ける。あるいは受け取るという情報活動をこえて出版というものは、読み手も書き手に対しても情報活動を支援する活動である。情報も大事だが、情報を扱う人々(生み出したり、読んだりする)を支援することにコアコンピテンスはある。

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