2003年9月15日の日誌 『ワクワク系で10倍幸せに仕事をする』と本を出すこと

2003年9月15日(月)

『ワクワク系で10倍幸せに仕事をする』と本を出すこと

訪問した札幌の旭屋さんで買わせていただいた『ワクワク系で10倍幸せに仕事をする』は、とてもよい本だ。著者の小阪祐司さんの本は何冊めだろうか。普通のビジネス書に書いていることが本を出すことに関係あるのかと思われるかもしれない。タイトルがワクワク系とあるような、そういう感覚は研究書という堅い本には関係ないではないかと思われるかもしれない。でも、そうではないのだ。研究書を出すこと作ることは本当はワクワクすることであったはずだ。研究というのは、何かを極め、解明し、人類の知的な資源に新しい価値のあるモノを付け加えていく、そんなエキサイティングな営みである。そして、本にするというのは、それを共有化することである。もともと、エキサイティングな営みであるはずなのだ。

エキサイティングな営みをしたいという気持ちで、エキサイティングな営みをサポートしたいという気持ちであるのだが、気持ちの上でずれを感じるときがある。研究書を出したいと問い合わせる方の一部に、「いつまで、いくらでできますか」と聞かれる方があって、私としては落ち込んでしまう。落ち込む理由は、ささやかな私の自尊心を傷つけるからだともいえる。小さな自尊心というのは、その質問の内容が、「既製品の発注」についてだからだ。マクドナルドなら、3分以内にお作りしますとか、その商品は3分お待ちいただきますというだろう。(速いことが商品の価値のひとつだから当然である)でも、お蕎麦屋さんで、注文するときに何分かかりますかというだろうか?「既製品の発注」ということをいいかえると「ファーストフードの注文」と言ってもよいだろう。エキサイティングなことをしたいという気持ちとそれは遠い。

もちろん、できている本を読者に届ける時には、決まった時間で届けられるのが望ましい。しかし、これから作る場合、「いつまで、いくらでできますか」ということがもっとも優先的な質問ではないはずである。自尊心の問題というとらえかたからするとそれは、私の問題に過ぎない。『ワクワク系で10倍幸せに仕事をする』を読んで思ったのは、自分の大切な本を作るとても貴重な経験であるのにもかかわらず「ファーストフードの注文」ということは、作ろうと思っている方も、せっかくの機会を作り上げられたマスセールスで作られる自動車を買うことよりも、重要視していないためではないのか。デパートであるいはユニクロのような既製服の店で、服を買うときと自分の服を仕立ててもらうときではどっちが気持ちがよいだろうか。後者の場合をほとんど想像できなくなっているせいかもしれないが、既製服の注文のように、「いつまでに裾上げができますか、それはいくらですか」といいたくなってしまうのかもしれない。

本はしかも自分のオリジナルの思考、思想、考え方、体験をかたちにするものなのである。注文用紙に書き込むように作ると思うのはつまらないのではないだろうか?自分の家をたてるのであっても、たいていの場合はパーツの組み合わせであったりする、自由に選んでいるかもしれないが、もともとの素材は先に用意されているのである。自宅の建て替えに4ヶ月でできる場合も、本はもっと時間がかかるのである。自分の頭の中の独自な内容をかたちにするから。

『ワクワク系で10倍幸せに仕事をする』で思ったのは、本を作ることを書き手にとっても「ファーストフードの注文」ではなく、「ワクワクする自分の本を作ること」にどうにかして変えることではないだろうか。自費出版の場合には、むしろそのような気持ちがあるのに、研究者の側にないというのは不思議なことである。我々は自費出版の出版社ではないから、お互いのやりとりの中で作っていきたいと思っている。原稿を入れた、いつまでに本にできるではない。

数年に1回購入する「エアコン」の購入するときの気持ちではなく、自宅を作ることも越えて、結婚式のようなうれしさを本作りに作り出したい。これは、普通のことだろう。研究者ではなくても、書く人は、先人たちの研究や行動、ことばなどを学び、今度は、そのお返しをするということなのだ。新しい成果や考えを、投げ返し、世の中に「ある」ようにする営みなのである。住宅は、壊されてしまうかもしれないが、残されたことばはずっと残り、影響を与え続ける。その本によって、直接は知らない人とのネットワークができる。これはまさにワクワクする経験だ。かつて子供だった時に、学校で配られる教科書をはじめて開くときに新しい教科書のにおいをかがなかっただろうか。読むだけではなく、世に開くという行為にさらにワクワクするきもちが生まれることは不思議なことではない。であるならば、そのような普通のことが、本が当たり前のものであるという社会的な雰囲気の中で感動するオーラがはげてきていると思われているだろうが、本質的に心躍ることであるはずだから、それを再生することは、難しくもないことだろうと思う。

これは、本を出す側だけではなく、読む側としても本を読むときにワクワクするような本を出すこと。それができれば、研究はより盛んになり、活気があふれ、研究自体がより前進していくことになるだろう。研究自体がワクワクした本来のあり方になるのではないだろうか。

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