2002年5月8日(水)夜

刊行委員会方式を提唱する

こんなふうに考えてみました。

------------------------------------------------------------

本を作ることは、それほど大変なことではないのかもしれない。本というかたちにしなくとも、インターネットで自分の述べたいことを述べることは、ほとんど何の苦もない。

本にしなければ、主張できないという時代ではない。また、パソコンで本を作れる時代、本というカタチにすることも、実はそれほど大変なことではない。

問題は、本という機能を本が担えるかという問題である。本というカタチにすることが容易ではない時代であれば、本を出すことにはインパクトがあったといえるだろう。

本という機能というのはどういうものだろうか。新しい主張を世に問い、それを世の中に受け入れさせる。共感を集めるという機能を持っていたはずである。何かを世に問う著者がいて、それを受け止める読者そして、読書人・書評者がいて、ことばがいきかっていた時代であれば、本を出すことはことばを世の中に問うということであった。ところが、旧来のメディア(新聞にしろ雑誌にしろ)は、時代の地殻変動に対する感覚がにぶくて、新しい著者を紹介することができない。読者たちは、生活の中でいろいろな問題に気が付いているのに、媒介するメディアが、空洞化している。加えて、気が付いている読者たちも混沌の中にいるから、書き手によってせっかく問われた問題を受け止めることができない。商品として出される本は、空中分解してしまうと、読者と著者が有機的に出会った時に生まれるはずの、エネルギーが生まれないで消えていってしまう。本というカタチに仕上げることは容易になった反面、本という機能を果たすには、単に本というカタチにするだけではすまない時代になった。

本のあるべき機能とは何か。共感を得て、時代への感覚を共有化するためのメディア。それを今、どういうかたちであれば、機能させることができるだろうか。

著者を主体的に選んだ読者というありかたしかそれはなしえないだろう。本というカタチを生み出す過程自体を共有された問題意識の現れにすること。一人の編集者が、著者に惚れ込んで、世に出すだけで、共有化への一歩を踏み出せる時代は去った。

私は、著者を取り囲む読者=サポーターの姿をあらわに見せながら、本を作っていくしかないと考える。一種の本を作る運動体として本を作っていく。

このやり方を刊行委員会方式と名付けたい。

読者が一定の束になり、書き手を支えながら、意見を交換しながら本を作っていく。実際にはどのような姿をとればいいのであろうか。

これは一種の「講」のようなカタチになる。著者を支えるグループをまず作る。このグループは、本を生み出す過程自体に参画する。本の意図を知り合いに伝え、関心の輪を作り、広げていく。本の広報を担い、本を伝え、場合によっては、本を間接的にであれ、直接的にであれ、売ること自体をサポートする。

ここで、疑問が生まれるだろう。本は、あちこちで次々と難なく作られているかのように見えるではないか、どんどん本が作られているという現状があるのに、どうして、そのようなめんどくさいことに関わらなければ、本という単純なカタチをつくることができないのか。これは自然な疑問である。本はどんどん生産されているし、書店にも新しい本がつぎつぎと押し寄せている。

でも、それらは、本当に人々の支持を得て、作られているのだろうか?売れ筋に似た、類似品のような、イミテーションのような、まがい物の本なのではないか?もちろん、生み出された本には、それなにの必然があり、理由もある。しかし、それらは、トピックの共感と共有を集めるには何かが足りないのではないだろうか?

作られては、すぐに返品され、出版社の倉庫へと押し戻される幾多のトピックたち。著者や編集者の願いはまっとうなものであったかもしれないが、本が消費財になってしまった現代には、あまりにも無防備である。船を造ったからといって、無防備に太平洋に乗り出しても、陸に押し返されるか、浪にしずんでしまうのが落ちではないか。船になるだけでは、大海にはこぎ出せないのである。どのようにして、消費財になることを免れることができるのだろうか?せめて、したたかな商品になろうとつとめるべきではないのか?

願いのかたちを最初から、もっと共有化されるかたちで世に送り出せないものか。人々の願いを連携できるように作り出そうではないか。

具体的に提案するなら、講を作ろう。講に入る人々は、著者と著者の見つけたトピックとスタイルへの共感者であることを表明しなければならない。表明の連鎖を作ろう。

まずは、自分も含めて、3冊の本を買うことを決めよう。自分の1冊以外は、知り合いに売ってもいいし、あげてもよい。3冊を一口とし、さらに二口つまり、6冊の市場を作り出そう。自分以外に5冊の共感を作り出すこと。最初の共感者を100人としよう。それぞれが、共感を広げてくれそうな人を口説き落とす。その連鎖。最初の100人は、強力な伝道師であり、セールスマンになる。

なぜ、この著者に惚れ込むのか、それを自分のことばで語ることにしよう。その語りが広がるとき、それは新しい読者のネットワークができるはずである。

あなた自身が、サポーターになっていただけないだろうか?1600円の本を3冊、消費税込みで、5040円である。これを二口、10080円である。これを口座に振り込んでいただければ、会員番号とパスワードを提供する。このメンバーは、原稿段階の草稿を読むことができる。読むことができて、意見を言うことができる。著者がその意見を受け容れるかどうかは、約束できないが、十二分に尊重することは約束する。希望すれば、本のカバーの裏側に、名前を印刷する。

また、広報活動を支援してほしい。名前を貸してほしい。加えて、積極的に広報活動をゲリラ的に行ってほしい。

出版社として、今回の刊行委員会に関わるのには、複雑な気持ちがあります。出版社として、本に出して、市場に送り出せば、即座に共有化、共感化できないという非力さを思っております。

大きな出版社であれば、刊行するだけで、書店への営業や、宣伝広告によって、マーケットを作り出すことができるのかもしれません。でも、彼らは、著者の気持ちを市場に押し出したり、市場を変えていくのではなく、既存の市場の原理、過去に売れたものの模倣を著者に押しつけたり、独自性ではなく、既存の路線に落とし込みがちです。

我々は、小さい規模の出版社であり、著者の気持ちに共感して、既存の市場の原理を著者に押しつけるようなことはしません。ただ、そのために、これまでの市場の中で、売れるように作れるかというとそれは難しいことです。

読者が十分に著者の気持ちを理解していなくても、市場に押し込むのではなく、読者を作りながら、市場を作りながら、新しいトピックを作り出していくような本の作り方をするには、今回、発案した「刊行委員会方式」以外の方法があるとは思えません。

新しい本の作り方をコーディネイトすることはできますが、実際に参加という点では、みなさまの力を借りなければ実際に市場を作っていくのは困難です。売れない本をみんなで、お金を出し合って本をだそうということではなくて、新しい流れを作りながら、きちんとムーブメントを作っていこうというものです。

この過程自体を面白く思い、参加してくださることを願っています。

日誌 2000年2・3・4月 日誌 2000年5月日誌 2000年6・7月日誌 2000年8月日誌 2000年9月〜11月

日誌の目次へ
ホームページに戻る


ご意見、ご感想をお寄せ下さい。

房主
isao@hituzi.co.jp