2001年3月31日(土)

メディア論からみた再販制度の問題

―出版業界の「無罪モラトリアム」―

公取委の3月23日の答申で、再販制度は維持されたというのが出版業界全般的な見方のようである。「新文化」や「文化通信」の記事によると、書協や新聞協会のコメントはかなり強気で、勝った勝ったという口振りだ。

しかし、書店業界にしても出版業界にしても、99.6パーセントが維持の声というが、ほとんどが動員であるということは、皆が知っていることだ。某大学出版会では、業務命令で、再販制維持の手紙を出してもらうように運動していたそうだ。圧力団体として当然であり、そのこと自体を非難するべきことではないだろう。しかし、このことは、その動員が、公取委に答えた声のほとんどであったとしたら、空恐ろしくなるものを考えてみるべきではないだろうか。つまり、業界外の人々にとって、再販と言うこと自体、あるいは出版界の命運について関心を持たれていなかったということである。ほとんどがサクラにしめられていたのなら、業界外の人々、たとえば、読者とかの立場の人々はほとんど関心がないということだろう。

私は、再販制の維持には賛成できない。再販制の意味は、同一価格で、全国に配布し、出版社の責任で、営業を管理するということである。小さな出版社では、このは不可能である。私は、企画のリスクは、分散させてほしいと思っている。書店が注文しても、いつ帰ってくるかわからない状態では、経営できない。値下げして売ってもらってもいいから、リスクをとって販売してほしい。再販制のメリットがある出版社は、委託制度を有効に使える大きな出版社で、マスプロダクトの本を出しているところだけであり、文化の多様性の維持にはマイナスでしかないと思っている。大手のマスプロ志向の出版社が、再販制の維持に熱心であることは、理屈にかなっているので、どんどん運動してかまわないが、小規模の出版社がそれにいっしょにやっていることは理解に苦しむとしかいえない。理由を聞かせてほしいものである。単なる慣習だろう。もっとも、戦前からあるような出版社には、既得権があり、再販制が無くなってしまえば、その時点で、既得権の見直しが起こるから、それがイヤダというのはビジネスとして間違っていない。逆にそれゆえに、新興のひつじ書房としては、権利関係を見直してもらった方がいいから、再販制維持反対だとも言える。

しかし、自分の利益のためだけに言っているわけではない。私はスーパーでの光景を思い出す。お客さんが、「これたかいわよねー」というと「そうなんです。でも、寒波が続いたでしょう。やられてしまって、高くなってしまったんです。」私は、これがメディアリテラシーではないか、と思う。

「この本は高いねー」とお客さんが言ったときに「この本は、10年かかってかいたそうなんですよ。○○の分野では、これをこえるものは当分でないでしょうね。ウチでは10冊仕入れて、もう8冊売れたんですよ」

書店で、仕入れリスクを持つと言うことは、内容の説明とその本の出来方を熟知するということだ。そういう仕入れリスクを背景にした知識を読者と共有すること。この本は、マスプロダクトではなく、一人の著者のある種の格闘によってできているということ、そのこと自体を知ること。

値段と装丁くらいしか、表明できない再販制によって不能にされた売場で、売り手と買い手のインターラクションは起こるだろうか。値段が、固定されないことによって、メディアとして、議論の起こる場所になる。「その値段は根付けが間違っている」「これが正しいのだ!」売り買いはそうしたせめぎ会いの葛藤の場所であるはずだ。お金を出して買うということは、もっとも高尚で具体的な評価の場である。そうすることで、メディアの自明性が剥奪されて、地が見えてくる。議論をしあうことで、メディアリテラシー度が相互に上がっていく。(ここでいっているメディアリテラシーは「通」に近いかも知れない。レベルの高い歌舞伎通が、増えることで、歌舞伎自体のレベルも上がっていくような・・・。)再販制度の維持は、その可能性の一つを奪ったのではないか。再販制が廃止されれば、出版システム全体の見直し、確認の作業をユーザーを巻き込んで行える機会になったのではないだろうか。

なお、『新文化』2001.3.29号の2面と3面の業界人関係者の発言が面白い。書協の渡辺氏、日書連の萬田氏が、冷静に感謝しているのに対し、田中健誤氏の発言は江藤淳までだでてきた思い入れたっぷりなものであり、田中氏の出身である文芸春秋の堤氏が、実際には売れる本を出し続けてきた文春の出版活動がある中で、再販制が文化を守るとか、出版業界が競争原理になじまないという発言をしているのに対し、安原氏が、そのことはデマで「いまでもマイナー出版社の本など、ほとんど扱われていない」といっている対比が面白い。売れる本をもっぱら出している出版社の人が、文化を守るために再販制が必要だと言い、マイナーな文芸書の編集者が、再販制で守られていないという。3000部がきちんとユーザーに届くような仕組みを作るべきだと言う彼の発言は正論だろう。(念のために言うと売れる本を出すことが悪いと行っているのではない)筑摩の菊池氏とか小学館の相賀氏とかが、再販制が維持されても、根本的な解決にならないと苦渋の発言をしているのも、文春チームとは対照的で面白い。

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