ひつじ書房 国語教育における文学の居場所 言葉の芸術として文学を捉える教育の可能性 鈴木愛理著 ひつじ書房 国語教育における文学の居場所 言葉の芸術として文学を捉える教育の可能性 鈴木愛理著
2016年12月刊行

国語教育における文学の居場所

言葉の芸術として文学を捉える教育の可能性

鈴木愛理著

A5判上製函入り 412頁 定価7,800円+税

ISBN 978-4-89476-805-5

ひつじ書房

A Place for Literature in Japanese Language Arts: Creating Education for Approaching Literature as Art of Language
Suzuki Eri



文学が「教材として」読まれることによって、読み落とされることがあるのではないか――言葉の芸術として文学を捉える教育を探ることは、 文学という芸術がひとの生にどのような役割を果たすのかを考えながら文学教育を考えるということである。これまでの文学教育の理論と実践を跡づけながら、言葉の芸術として文学を捉える文学教育の独自性、および現代における文学教育の存在意義を理論的に考察するとともに、国語科教育における文学の居場所を探る一冊。




目次

序章 「文学で」教えるから、「文学を」教えるへ
1. 「文学」を教えることは可能なのか
2. 芸術としての文学教育の成立を求めて

第1章 文学教育における文学の定義
1. 言葉の教育の一環としての文学教育―時枝誠記と西尾実―
2. 文学の特殊性とその読みの独自性
2.1. 文学の特殊性について―なにを読めばよいのかの視点から―
    文学と生活のかかわりの追究
    言語生活主義に基づく文学教育においての文学観
    荒木繁「民族教育としての古典教育」の場合
    大河原忠蔵「状況認識の文学教育」の場合
    熊谷孝「文学的認識の文学教育」の場合
    文学観を強要しない文学教育を求めて―2.1.まとめ―
2.2. 文学の読みの独自性について―どう読めばよいのかの視点から―
    太田正夫「十人十色の文学教育」の場合
    西郷竹彦「関係認識・変革の文学教育」の場合
    読みかたを強要しない文学教育を求めて―2.2.まとめ―
2.3. 文学教育がめざしてきたもの―人格陶冶、人間形成、徳目・道徳的側面―
3. 環境としての文学教育
4. 国語科から独立した文学教育の提案
    読み続けるひとの育成をめざして―難波博孝、倉沢栄吉、奥野庄太郎の提案―
5. 国語科教育における文学の定義
第2章 生活における言葉の芸術の役割
1. ある言葉を文学とみなす行為について
1.1. 文学とはなにか
    難波博孝―「他者される」行為としての文学―
    吉本隆明―「自己表出」の言語としての文学―
    松永信一―「感動」の「行動」としての文学―
1.2. 文学とみなす行為の必要性について
2. 生にとっての芸術の必要性
    福田恆存―「カタルシス」としての文学―
3. 生にとっての文学の必要性
    読む目的の無償性
    読まれる言葉の非道具性
    書かれたものであることの親和性―他者との交際として―
    言葉の芸術の所在―読む者にとって―
    文学の固有性―言葉という媒材―
4. 生活における文学の必要性
    語り合う材としての文学
    語り合う場を生むための条件
    尋ね合う場を醸す材としての芸術

第3章 芸術を教育する現在的意義
1. 芸術と教育のつながり
1.1. 目的の同一性
1.2. 目的に求めるものの相違
2. 芸術教育により育成される力とその意義
2.1 「受け入れる力」
    姜尚中氏自身の「受け入れる力」の経験
    「受け入れる力」とは
    いま、なぜ「受け入れる力」なのか1―姜尚中氏からみた現代の状況―
    いま、なぜ「受け入れる力」なのか2―「受け入れる力」を引き出さねばならない理由―
    「受け入れる力」はどのように引き出されるか
    「受け入れる力」を引き出す教育的意義
2.2. 「自己安心感をもつ力」
    「自己安心感」のもてなさ
    属性の外化を要請される時代1―自分という属性を発見することの強要―
    属性の外化を要請される時代2―ネガティブな属性も承認することの強要―
    属性に仕分けられない部分への困惑―「自己安心感」の喪失―
    「自己安心感」喪失の時代に求められる教育
2.3. 「語り合う力」
    語り合う場の縮小とその問題
3. 言葉の芸術としての文学教育の可能性
3.1. 「受け入れる力」の場合
3.2. 「自己安心感をもつ力」の場合
    「個性」を伸ばしていくこと
    「自己安心感」を育てる場の条件―畏怖と安堵の経験の場であること―
    芸術教育の方法としての可能性
    「自己安心感」をもたらす文学教育
3.3.「語り合う力」の場合
    尋ね合う文学教育
    「尋ね合う文学教育」と「伝え合う力」の関係について
4. 芸術を教育する意義

第4章 言葉の芸術としての文学教育の可能性
1. 言葉の芸術としての文学の定義
1.1. 言葉の芸術としての文学教育観
    指導内容
    読みの技術
    読むおもしろさ
    読みの技術と読むおもしろさの関係
    教育目標
    教材選択
1.2. 言葉の芸術としての文学教育における言葉観
    「文学=言葉を媒材とする芸術」という文学観―熊谷孝氏の理論の援用―
2. 国語科教育における言葉の芸術としての文学教育の方法
2.1. 「『言葉とは媒材である』という言葉観」の教育
    「『言葉とは媒材である』という言葉観」とは
    「『言葉とは媒材である』という言葉観」と文学教育のつながり
    「『言葉とは媒材である』という言葉観」を教育するための構想
    芸術の媒材としての言葉の教育の学校教育上の位置づけ
    芸術の媒材としての言葉の教育の芸術教育上の位置づけ
2.2. 川上弘美「神様2011」による文学教育
    同時代文学の教材性
3.11以降の文学の教材性
    川上弘美「神様2011」について
    「神様2011」の教材化
    「神様2011」の同時代文学としての教材性
    現代文学の教材化についてのまとめ
3. 言葉の芸術としての文学教育の課題

第5章 言葉の芸術としての文学教育を可能にする評価観
1. 言葉の芸術としての文学教育における評価の問題
1.1 評価することの問題―教育する側から―
1.2. 評価されることの問題―学習する側から―
1.3. 文学教育という文脈上で読むことの問題
2. 言葉の芸術としての文学教育における評価の検討
2.1. 目標とその現在的妥当性
3. 言葉の芸術としての文学教育に求められる評価観
4. 言葉の芸術としての文学教育にできること

終章 「文学を」教える国語教育の可能性


解説にかえて
あとがき
索引




著者
鈴木愛理(すずき えり)
広島大学大学院教育学研究科文化教育開発専攻博士課程後期修了。愛知教育大学非常勤講師を経て、弘前大学講師。教育学(博士)。専門は、国語教育学・文学教育。
〈主な論文〉「文学教材としての現代小説の可能性」(『中国四国教育学会教育学研究紀要』第54巻、2009)、「『言葉とは媒材である』という言葉観の検討—文学教育の基礎として—」(『日文協 国語教育』第40号、2012)、「『国語』で読むということ—翻訳文学の教材価値に関する一考察—」(『弘前大学国語国文』第35号、2014)など。




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