自叙伝の練習

─あるアンソロジー編集者の告白─

宮 川 健 郎

「アンソロジー」としての国語教科書

 日本書籍発行の検定教科書『わたしたちの小学国語』編集委員会にくわわったのは、 1986年の春だった(私は30歳)。

 日本児童文学を専攻する私の役目は、比較的新しい児童文学作品のなかから、小学 校国語科の教材になりそうなものを発掘することだった。私は、はりきって、たくさ んの作品のコピーを編集委員会にもちこんだものだ。ところが、その私を待ちうけて いたのが電卓をかかえた編集部の女性だった。小学校の国語教科書では、6年生のい ちばん長い教材でも、400字づめ原稿用紙で25、6枚が限度だ(東京書籍版の6年生 に現在も掲載されている、今西祐行「ヒロシマのうた」あたりが、もっとも長いだろ う)。5年生以下では、さらに短い作品しかのらない。編集部のIさんは、私のもち こんだ作品の長さを電卓で計算してくれるのである。私がどんなにすぐれた作品を もっていっても、この電卓の関門を突破できなけれなければ、編集委員会のテーブル にのることはない。

 小学校のものにかぎらず、中学校も高等学校も、日本の国語教科書は、短い文章 の寄せ集めでできている。つまり、アンソロジー(選集)なのだ。小学校の教科書な ら、限られたページ数を文学教材(詩・物語)、説明文教材、作文教材、言語事項で分 けあわなければならない。ところが、今日の日本の児童文学は、長篇が中心になって いて、国語教科書という器とは、大きな食いちがいがある。

 日本の現代児童文学は、1959年に成立したと考えられる。59年は、佐藤さとる 『だれも知らない小さな国』や、いぬいとみこ『木かげの家の小人たち』が出版された 年だ。50年代の「童話伝統批判」が現代児童文学成立のための助走だった。戦後の新 しい現実のなかで、子どもの文学の新しいあり方がさがされていた。当時の若い児童 文学者たちは、大正期以降の童話の時代の代表的な作家(小川未明、浜田広介……) の作品や文学観、子ども観を批判的に検討するなかで、新しいものを模索していった
のである。検討の論点は、いくつかあったけれども、大きなひとつとして「散文性の 獲得」があった。小川未明らの童話のような詩的、象徴的なことばではなく、子ども の文学においても、散文的なことばがもとめられたのである。戦後の子どもの文学 は、「戦争」も、戦争を引きおこすこともある「社会」も書かなければならなかった。 それには、もっと説明的、散文的なことばが必要だった。詩的、象徴的な童話が短 篇、掌篇という形態をとったのに対して、散文性を獲得した現代児童文学は、長篇と いうかたちをもつようになった。

 杉みき子、あまんきみこ、松谷みよ子、神沢利子、今西祐行、今江祥智……、今 日の小学校国語教科書には、現代児童文学の作家の作品が数多く掲載されている。と ころが、よく見ると、掲載されているのは、現代児童文学のなかでは、あまり多くは ない短篇の名手たちの作品であることがわかる。教科書に現代児童文学の全体が反映 しているとは、とてもいえないのだ。

 現代児童文学作品のうちで、教科書の教材にできるものが、あまり多くはないとい う状況のなかで、「苦肉の策」として行われているのが、絵本の教材化である(『スイ ミー』など、レオ痺激Iニの作品の教材化が多い)。絵本とは、本来、絵が語り、その 絵をつぎつぎとめくっていくなかで展開していくものだ。絵本の文は、絵を手助けす るものにすぎない。個々の場面を無視し、その文をはぎあわせるようにして、ひとつ のストーリーに仕立てるのが、現在行われている絵本の教材化である。絵本の絵は、 いくつかがえらばれて、単なる挿絵としてつかわれることになる。これには、大いに 疑問がある。

子どもたちの「ある日」へ

 30代は、アンソロジーの季節だった。

 教科書編集部の電卓の前で、すぐれた児童文学作品、おもしろい作品がつぎつぎと 討ち死していった。これらの作品を、教科書とは別のかたちで子どもたちにとどける ことはできないか。私は、それを考えはじめた。いっしょに考えたのは、やはり、小 学校国語科の教科書や副読本の編集委員だった藤田のぼると石井直人。ふたりとも、 児童文学の評論家、研究者である。藤田、石井、私の3人は、「現代児童文学研究会」 を名のった。さて、私たちの前にある死屍累々たるコピーの山をどのようにして生き かえらせるべきか……。

 コピーの山は、テーマ別に分けられ、16冊ほどのシリーズに再構成されることに なった。偕成社から刊行された、このシリーズ全体のタイトルは、『きょうはこの本
読みたいな』。子どもたちには、いろいろな「きょう」があるはずだ。各巻の題をかか げると、『だれかを好きになった日に読む本』『0点をとった日に読む本』『けんかをし た日に読む本』『学校に行きたくない日に読む本』……となる。だれだって、悩みや問 題をかかえてしまう日がある。 現代児童文学研究会編『きょうはこの本読みたいな』(第1期8巻1990年、第2期8巻1992年)は、子どもたちのこうした「ある日」へ、 いろいろな物語をとおして、はげましの気もちをとどけたいという願いが託されたシ リーズだ。

『きょうはこの本読みたいな』には、小川未明、坪田譲治、宮沢賢治、新美南吉な ど、童話の時代の作家の作品も収録されているが、全16巻は、それらもふくめて、 いま、子どもの文学として読みうる作品の可能性のバラエティを示そうとしている。

市場としての『ひつじアンソロジー』

 いまでも、50冊ぐらいは小学生のころに読んだ本が手もとにのこっている。それ らの本の見返しには、鉛筆で「イギリスへん3」「ドイツへん5」「日本へん2」という ふうに書きこんである。小学生の私は、世界児童文学全集が「イギリス編」とか「ド イツ編」というふうに各国別になっていたのを真似て、自分の書棚を自家製の世界児 童文学全集に仕立てあげようとしたのだ。このあたりに、私にとってのアンソロジー の原像があるのかもしれない。 

 ひつじ書房と近代文学研究者の中村三春さんから、『ひつじアンソロジー』の執筆 者グループに入るようにとおさそいがあったのは、1994年の初夏だった(私は39 歳)。編集代表者癇村三春が描いた『ひつじアンソロジー』のイメージは、つぎのよ うなものだ。『小説編1』の「編集企画スクリプト」から引く。──<明治から現代ま でに発表された日本の短編小説のうち、一般にはあまり知られていないが、虚構的な メカニズムに優れた名作を再評価することを目的とする。><各作品にわかりやすい 「解説」、「注」瘁u文献目録」を付し、一般向けのアンソロジーとしても、また大学用テ キストとしても、さらに論文集としても読むことのできる書物とする。>

 これは、中村さんが編者の本なので、収録する作品は、彼が決め、それぞれの注、 解説を執筆者グループに分担させるのかと思ったら、そうではなかった。『小説編1』 ならば、執筆者グループ10人がそれぞれ、アンソロジーにおさめたい作品の候補を 編者のもとに送る。編者は、それを整理して目次をつくり、執筆者全員による編集会 議で提案する。そして、執筆者は、自分自身がもちこんだ作品の注と解説を書くこと になる。だから、『ひつじアンソロジー』は、さまざまな人が商品をもちよって、そ
れぞれの店をひらく「市場」(バザール)なのだ。注や解説は、作品に客を引く「呼び 声」である(解説には図版も多数)。編者も、バザールに参加したテキヤのひとりにす ぎないようなところがある。

 こうして出来あがった『ひつじアンソロジー小説編1』(1995年4月発行)は、つ ぎのような内容だった。──泉鏡花「朱日記」/大泉黒石「犬儒哲学者」「不死身」/ 江戸川乱歩「火星の運河」「踊る一寸法師」「白昼夢」/牧野信一「西瓜食う人」/岡本 かの子「花は勁し」/立原道造「鮎の歌」/坂口安吾「紫大納言」 /太宰治「懶惰の歌留多」/椿實「月光と耳の話─レデゴンダの幻想─」/天沢退二郎「赤い凧」「ちいさ な魔女」「秋祭り」。私が推薦したのは、天沢退二郎の童話。先に、日本の現代児童文 学は、1959年に成立したと述べた。「児童文学」の時代になっても、詩的で象徴的な 「童話」のことばで書く作家がいる。斎藤隆介、立原えりか、安房直子、あまんきみ こらだが、実は、天沢退二郎が現代の「童話」の第一人者なのではないか。天沢の作 品には、「童話」のことばの力こぶが見えるような気がする……。私は、「呼び声」も 高く、「田久保京志、あるいは、『埋められない欠落』の挿話」と題して、解説を書い た。

そして、『ひつじアンソロジー詩編』(1996年7月発行)でとりあげられた詩人は、 つぎの10人。──尾形亀之助/安西冬衛/村野四郎/永瀬清子/伊東静雄/吉岡実 /谷川俊太郎/清水哲男/荒川洋治/伊藤比呂美。私自身は、清水哲男の「喝采」や 「ミッキー痺}ウス」ほかの詩を、そして、荒川洋治の「水駅」や「美代子、石を投げな さい」ほかをもちこんだのだった。

 歓進元のひつじ書房は、引きつづき、このバザールを開催するという。つぎのバ ザールは、『小説編』か『詩編』の2だろうか。それとも、『俳句編』か、『短歌編』か、 はたまた『児童文学編』か。ひつじ書房は、このバザールをよりひらかれたものにす るために、参加する執筆者の公募なども考えるべきかもしれない。

 やがてまた、花火があがり、バザールの旗は、風になびく……。        

(みやかわたけお/宮城教育大学助教授)