房主より

 96年度も多くの本を出すことができ、また、多くの本を刊行できなかった。刊行で きなかった中でも、日本語研究叢書を1冊も刊行できなかったのは痛恨の思いであ る。第1期は、あと2冊を残すばかりとなって3年もたつのにいまだに完結できてい ない。日本語研究叢書は、ひつじ書房の出発のシリーズであり、これらを刊行できな い状態ということは、とりもなおさず、初志を実現できていないということだ。多く の方に予約していただいてずっと待っていただいていることは本当に申し訳ない。

 このままで本(書籍)はいいのか、ということを考えている。これまでも『未発』 に書いてきたように、今までも、もちろん考えてきたが、予想よりも、急速にかつ複 雑に問題が現れはじめているようだ。組版など、製作の面で、コストと品質の点で問 題が出てきている。その原因でもあるし、結果でもあるが、「本の求心力」が急速に 衰えている。その根底にあるのは、書籍の一定の役割が終わったという「歴史的な事 実」だろう。本には新しい知識を広めるという重要な役割があり、追いつくことに価 値があった今までは、学ぶべき知識としての教養、またそれを教えるという啓蒙が重 要であった。しかし、習うべきモデルがなくなった現代、教養と啓蒙は困難になって いるのではないだろうか。人々の関心が、分散化し、様々なトピックに関心が向かっ ている時、私は、啓蒙書という本には未来がないと思う。これらの教養書・啓蒙書 が、書店を含めた従来の出版業界の基盤を守ってきたということを考えると、書籍流 通のあり方が否応なく変わらざるを得なくなるだろう。研究書も、値段の問題、流通 の問題、様々な問題があるのは周知の事実だが、このままでは、やはり、未来はな い。とすると極端な話、本はもう、ベストセラーのような一般的な内容のもの以外、 存在できなくなるのではないか、という恐れを感じる。専門的な出版社が研究書を商 品として世に出すことは、無理なのか。もちろん、研究書にも様々な内容があり、一 概にはいえない。ひつじ書房の場合でも、山梨先生の『認知文法論』は、本体4200円 というそれなりに高価でありながら、通算で、3800部程度、3年間で出ており、内容 的に優れたものであれば、今でも読者はたくさんいることは実証されている。

 では、比較的売れやすい数千円でできる本だけを選択して刊行し、数万円になって しまうような本は出すべきではないのか? これは簡単にそうはいえないような気が する。値段はともかく、数百人しか読者のいない内容のものも、その内容を真に必要 とする人がいる限り、その内容が共有されるように努力するのは学術出版社の仕事の
うちであろう。たとえば、フーコーの本、『言葉と物』であったか、もしかしたら他 の本だったかもしれないが、初版は500部程度であったという。過去の他の本を考え ても、少ない部数であっても、刊行されていることで、その知識が共有され、研究の 進展に役立った例は少なくないはずである。人文科学における少部数の研究書は、可 能性としては、文化の基礎科学であり、それがその時点で十分な読者を得られなかっ たにしろ、時間を越えて共有されるべき内容がないとはいい切れないはずである。と したら、高いと非難を浴びたとしても本を出すことが、必要な場合があるといえるは ずだ。では、どうするのがいいのか。学術書の出版には、構造不況の様相があり、確 たる解決方法はない。考えていることはあるのだが、ここでは、紙面の関係もあり、 ひつじ書房のホームページ(http://www.mmjp.or.jp/hituzi/index.html)に私の日誌を掲 載しているので、ご覧になっていただければ幸いである。また、私の日誌の内容につ いて、ご意見のある方は、どうか電子メールで寄せてほしい。この場をかりて述べて おく。

 現在は、旧来の本作りと新しい本作りが混在している時期である。旧来の本作りも しだいに力を失ってきている。新しい本作りも、まだまだ不完全だ。新しい本作り も、DTPという一応紙の本を前提のそれなりに確定した技術もあれば、電子本をめざ すこれからの動きもある。学術書においても、電子本を視野に入れていかなければな らない時代となった。電子本を作るという中でも、学術書にとって、注目に値するの は、日本語版が、アドビ社から発売されたばかりのアクロバットというソフトであ る。アドビ社は、もともとデジタル出版の根本である、パソコンで高品位の印刷を実 現したポストスクリプトという印刷のプログラムを開発したところであり、現在も DTPソフトを出している。そこが、開発したアクロバットは、今まで理屈だけであっ た電子本作りを可能にしたのである。具体的にいうとこのソフトで処理したパソコン 文書は、マックでもウィンドウズでも、表示・印刷が可能になり、なおかつ、イン ターネットでも見ることができるようになるのだ。もちろん、DTPソフト(ワープロ ソフトでも)で作った本は、そのレイアウトを完全に保持したまま、そのまま電子文 書に加工することができてしまう。このソフトなら、音声記号も外国語もそのまま再 現されるから、研究書を紙の版と一緒に電子版をつくることが可能である。これは、 本自体のオンライン販売だけでなくて、様々な副次的な利用方法もある。絶版になっ た本を、電子化して共有することに使えば、その本の内容が入手できなくなるという 状況は皆無になる。教科書なら、採用見本をいちいち発送しないでも、ほとんどその ままの内容をオンラインで見本として送ることが可能だ。代金の受け渡しの方法が、
きちんと整い不法なコピーができなくなった段階では、紙代・印刷代・製本代がかか らないで本を作ることができる。もし、不法にコピーされないのであれば、現在の半 分の値段で販売することや半分の部数で同じ値段で本を刊行することも可能になる。 外注費が減れば、資金繰りも大幅に楽になる。資金繰りが楽になれば、ゆっくり売れ る本を作ることができるようになる。(不法コピーが野放しになれば、事態は逆で、 電子出版はなりたたなくなるだろうし、紙の本の値段もいっそう高価になってしまう だろう)私は、これは大いに期待すべきだし、強く推し進めるべきだと思う。なおか つ、音声や画像を添付することができるので、音声学の新しい形式の論文や、身体技 法やメディアに関する本も刊行することができる。私は、学術専門出版社は、これを 大いに活用すべきだと考えている。みなさんは、どう思われるだろうか? いずれに しても、ここ10年くらいで大幅に「出版」が変わるだろうと思う。「出版」が変わる ということは、大学も学校も地域も社会も変わるということである。ここしばらく は、旧「出版」の没落につきあいながら、新「出版」の皆目分からない可能性につき あって行くしかないだろう。

 ひつじ書房では、学術論文をアクロバット化して公開・共有化することに、学術情 報の今後の解決策の一つがあると信じている。これに、賭けてみたいと思っている。 96年度は、学習院大学の文学部の紀要をDTPで作成したが、現在、アクロバットを 使って、紀要を電子的に公開できるように加工しているところである。サンプルを小 社のホームページでも公開している。加えて、インターネット上に拡散している様々 な学術情報を検索できるページを作ることにしている。これに、学術出版自体の将来 もあるのではないか、と大げさながら思っている。ひつじ書房で、大学や研究所の紀 要を作成するなどしてみたい。多くの方々のご支援をお願いしたい。

 今回も宮川健郎さん、内田慶市さんのエッセイをいただいた。感謝の意を表明した い。なお、5月末に事務所をほんの少しだけだが、移動した。スペースが、今までの ところの約2倍になった。あいかわらずの火の車ではあるものの、わずかながらだ が、小社も発展しているということになるだろう。読者の方々のご支援にお礼を申し 上げたい。

松本 功(房主)

スタッフ 但野真理・桑原祥子・松本久美子(リハビリ中) ・松本 実・入口三津子