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2000年5月4日 アーティストを育てるファンド

弁護士の柳原さんの紹介で、PRYAIDレコードの渡辺さんに会っていただいた。休日出勤で、連休の最中に仕事で出ていらっしゃるところにお邪魔した。オフィスは、恵比寿の南口を5分ほど歩いたところ。お会いした当初の目的は、出資を受ける場合に、どんな問題があるのか、ということを先輩にお伺いすることだったが、そのこともあるが驚いたのは、アーティストをお金をかけて、育て、売出し、お客さんに届けるということを、当たり前のことであるが、丁寧にやっており、その資金が足りないとなると、業界の関係会社に呼びかけて、基金まで作ってしまうという、その根性+したたかさ+危険を省みない向こう見ずさ+そのことに協力者を作ってしまう信頼性のすごさよ。これは驚くべきことだ。

たとえば、優れた書き手を集めて、その人たちが調査し、取材し、本にするときの経費を基金を作って、集めるということを考える出版人はいるだろうか?たぶん、いないだろう。音楽の場合、直ぐに数億円という桁になってしまい、個人的にあるいは個人商店が支えられるものではないから、そういうことを考えつかれたということはあるだろう。しかし、取材費が出ない大事なことを追いかけているルポライターというのはいるのである。「本が売れないんだよね」だけで、すませていてよかったはずがないではないか。この問題は、進化する図書館に関わる。

もっとも、そのようなファンドを作ってまで、アーティストを支援したいという仕組みを作ってしまったのはPRYAIDレコードだけらしいのだが。すばらしい人はいるところにはいるものなのだ。また、公共的であると同時に投機的であるところがまた、面白い。優れたアーティストがその仕組みで生まれて、良い音楽が生まれることは、日本の音楽シーン全体を良くすることであり、3枚という義務を果たした後は、もっと経済的な規模の大きなレコード会社と契約しようが、関係ないというオープン性を持つ。一方では、ハイリスクハイターンであり、これはやはりショービジネスでもある。私は、こういうものこそが、公共性だと思うのだが、これも話しが長くなるのでここでとめておく。

2000年5月11日 小田さんに、浜松でお会いした。

『出版社と書店はいかにして消えていくか』を書かれた小田さんに、昨日、浜松でお会いした。これは、運命的な出会いなのではないかと思う。一人よがりな感慨かもしれないが、私が『ルネッサンスパブリッシャー宣言』を出したのとほぼ同じ時期に小田さんも本を出された。出版業界の現状をうれうる少数派の出会いであった。日本の中で、あんなことを公言できたのは、10歳の年齢差があるにしろ、この二人だけなのだから。

いろいろと面白い話を聞かせていただくことができた。小出版社もその中にいる出版界の情けない現状について、話がはずんでしまった。情けないことであるが、出版業界は、ほとんどオーム真理教のサティアン状態であり、神風を待つ日本軍のようなありさま。出版界がそんなにまで知恵のない集まりだと予想もしなかった。次の本ももう書かれていて、それはブックオフについてで、1冊目よりも衝撃的だとのこと。

新幹線の中で小田さんの他の本を読んでいった。『<郊外>の誕生と死』(青弓社)だ。この本は名著である。昨日読んで人間の言うことではないが、この本は必読書である。書評を書くことにきめた。1997年に書かれているのだ。

2000年5月15日 注意して生きよう

土曜日から右の耳の奥がいたいので耳鼻科に行った。疲れていると耳が痛くなるのだが、中耳炎が再発している可能性があるということで、今度、精密検査を受けることになった。そんなに仕事をしているともいえないが、少し安静にしよう。無理をしないようにしよう。

精神的にも落ち込むことがある。昨日、娘と近くの公園にいった。砂場に隣接しているコンクリートでできた滑り台がある。娘は、砂場で私は、今度水曜日お会いする鷲田さんの本を読もうと滑り台を駆け上がった。ところが、光るものがある。良く見るとそれはガラスだった。牛乳瓶のようなものを割って、それを子どもがあそぶ滑り台の上に散乱させているのだ。まさか、カラスではないだろう。カラスなら滑り台の上には置くまい。近くのごみ箱から、ビニール袋を引っぱり出して、ガラスを拾った。

ご近所の狂気。その一方で、中年の男女が近くでテニスをしている。その公園は、区営テニスコート場のそばにある。あんたたちはのんきなものだ。テニスをするくらいなら、滑り台にガラスがまかれていないか見るくらいのことをしてほしい。あなた達の世代がこの世の中を作っただ。その責任を感じないのか、といつも思う。自分のことしか考えていない。自衛して生きるしかないだろう。落ち込んでばかりではいられない。

2000年5月22日 お金集めの次の問題

ある集まりがあって、映画のプロデューサーの織田さんと同席した。数カ月前に、映画を投げ銭で作るという話をしていて、実際には実現しなかったが、関係のない他の団体が映画を作るのに資金集めをインターネットでやったという話が出て、織田さんは、同じようなことをして、もしかしたら、うまく行くかもしれない。資金を集めることができるようになるかもしれない。そうなった時に、問題がある。スポンサーの意向を拒否できるのかということと、資金が集まって映画を作りたい人が来た時に、どうやってお金を分配したらいいのか、どの監督にお金を渡したらいいのか、選別はしたくないから、うまく行かないだろうと思う、ということだった。

確かに仮に10億円集まったとして、それをどういう基準で分割することができるだろうか。 音楽CDなら、ほぼ、録音時間数というものも決まっているし、メンバーの人数ややり方によって、予算の規模を推定できるだろう、ある程度までは。しかし、映画の場合は、時間も作る人、作る作品の内容によってそれぞれだし、人数も一定しない。実際にないものを目の前に見せる映画は、コストに際限がない。小品から大作まで、あまりにも色々ありすぎる。

小品でも良いものができる可能性はあるし、大作でも同じ。一方、資金の問題に続いて、興行だから、小屋主が上演するかどうか、流通がどの程度乗ってくるのか、その都度決まるから、困難が累乗的だ。

音楽の場合は、アーティストが自分でライブを開くことができるので、その歌手がどのレベルかの最初のところは、分かるが、映画の場合は難しいだろう。織田さんの悩みはもっとなことだ。金集めに成功したとしても、本質的な課題はあるということだ。なるほど。

参考になるか、分からないが、織田さんにタイズ財団の資料をお渡しした。アメリカのNPOの元締めのようなところで、個人や企業からの寄付を集め、莫大な資金をNPOに分配している組織だ。これも規模の大小あり、いろいろな複雑な条件の中で、どうにか選んでお金を渡しているはずだ。参考になるとよいのだが。

今思ったのはそうしたファンドが、複数あればいいのではないかということだが、どうなんだろうか。

2000年5月28日 いいかげんな本を作ろうと思っているとでも?

削除します。

2000年5月31日 新日比谷図書館を作ろう

図書館というものをいままでとは違ったものにしたいと思っている。何人かの人と集まって、考えを練っているところ。以下は、いろいろな雑談の中での話し。実現させたいと思うのだが、面白いと思われるだろうか。

日比谷図書館が老朽化し、所蔵している本も古くなっている。予算も付かない。かつての中央図書館の意味は、有栖川にある東京都中央図書館に役割を譲ってしまったから、本が沢山入るわけではない。日本の図書館としては、歴史的な意味はあるが、オフィス街の真ん中にあるにも関わらず、十分な蔵書があるとはいえないだろう。

日比谷図書館を改装し、新しい時代の図書館にしようという動きはあったらしいが、石原知事は握りつぶしてしまったらしい。文人とも思えない・・・。

どうなんだろうか。むしろ、ここを新しく都と都民が協力し、NPO的な要素を入れて、そうまさにニューヨーク公共図書館のように日比谷公共図書館に生まれ変わらせてしまえば?税金だけではなく、地元の大企業、中小企業の支援を仰ぎ、市民のカンパ、作家のカンパによって、新しい起業家を育てる部屋、言論を育てる部屋、そこには若い作家やジャーナリストの生活費と取材費を差し出し、さらに書く場所とリフェランスの支援を行う。あるいはビデオ作家のためのライブラリー、映画制作のためのシナリオ支援センター・・・。

記者会見のための講堂兼食堂も作りたい。

日誌 2000年2・3・4月

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