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1999年12月2日 状況は変わる

ひつじでは、11月26日に席替えをした。

ちょっと雰囲気をかえたい、と思ったからだ。みんなの総意で決めたわけではない。いろいろと思うところがあったというわけだ。理由はここでは述べない。

結果としてだけれども、机の真ん中に居座っていたタワー形のウィンドウズマシンがなくなったことで、顔がみやすくなったし、さらに私が本棚を背にするという状況をやめて、アルバイトの人たちの作業台を背にすることで、無駄な荷物を積み上げることができなくなる(まだ、だいぶ残っているが)という背水の陣になった。私は、私で、資料をとりあえず段ボールにぶち込むということができなくなったわけだ。これはかなり恐ろしいことである。

私は、アルバイトの人たちの声を聞きながら、分からないことがあった場合に、賀内にだけ任せるのではなく、私自身も助けに駆けつけることができる位置にきた。Tさんには、UNIXを教え始めたし、また、別のTさん(考えてみたらTさんが、3人いる。)には、HTMLをステップアップをはじめた。お気づきのように、絵日誌も、雛形をつかうものから、自分でHTMLのタグを書くように進歩している。今日は、MさんにページメーカーでDTPを初めてやってもらった。

どうなんだろう。せっかく出版社にきて、アルバイトをしているのだから。時給のもっといいアルバイトはある中で、せっかく出版社にきているのだから、来ている時間は楽しくということ大事だが、きちんとした仕事を片づけたという密度の濃いもののほうが来ている甲斐があるのではないだろうか。

これはDTPやHTMLだけではなくて、経理の手伝い、出荷の手伝いも同じことだろう。楽しむということなら、それはそれで、もっといろいろ場所があるだろう。楽しんではいけないということではなくて、ある意味ではインターンのように仕事の厳しさ、現場を知るということも意味のあることのように思う。

楽しんでやるということよりも、仕事の意味を考えて、何かを作ることに参加する、という方向にアルバイトの人たちも向かってくれたら、お互いに有意義なのではないだろうか。みんなが、パワーアップして、ひつじのパワー全体が良くなってくれれば、たぶん、気持ちが良く仕事ができる場所になるだろう。そうなって、私や専務の力に余裕が出てくれば、もっといろいろなことを教えて上げることができると思う。

そんな意味で、若干の軌道修正を行ったといってもいいかもしれない。たぶん、いくつか軌道修正を行うだろう。たとえば、DTPの比率を下げることを考えている。それについては、機会を改めて。

1999年12月14日 忙しさに酔っているようでは、とてもだめだ

房主である私は、編集とかお金を借りに行ったりとか、いろいろを担当している。専務(妻)は、経理とか伝票を作ることを担当している。というわけで、両方ともそれぞれ、会社を運営していく上で、同じくらいの比重がある。ひつじ書房を作ったのは私で、それをずっと支えてくれたのが妻だということになる。そもそも常識のとんとない私が、どうにかビジネスを切り盛りできているとしたら、彼女の常識力のおかげである。この点では彼女の両親にも感謝しないと行けないだろう。

子育てに関しては、妻が中心だが、私も幾分ではあるが、分担している。週に一二度、娘の世話をする、というわけだ。したがって、たとえば、昨日月曜日は私が彼女が幼稚園を引けたあと、自転車に乗せて、うちに帰って、いっしょに夕方から遊んだ。なぜか、転校する前にいた幼稚園の帽子やら、運動着やらを引っぱり出してきて、普通の服の上に来てしまった。なんともはや。その前には、写真を見ていたら、突然、浴衣が着たいといいだし、私はひっぱりだして、彼女に着せてやった。

これは、楽しい生活だ? SOHOならではの、一日の姿と言える。子供を幼稚園ではなくて、保育園に預けるという選択もありえるのだろうが、この時期できるだけいっしょに過ごしたいというわがままかも知れない。もっと、仕事に専念した方が、仕事は進むだろう。

親といっしょにそんなに過ごす必要はない、とも言えるかも知れない。どうなんだろう。もともと不器用な我々にとって、負荷が掛かっていないともいえない。ある経営相談によると、二つのことをいっしょにできずに忙しがっているのは、良くない。特に忙しがっていて、忙しさに酔っているようでは、とてもだめだ、どっちか一つを即座に断念しなさい、とのアドバイスがのっていた。うーん、これはきつい。私は、本業もしっかりしていないのに、投げ銭やら、書評やら、よけいなことをやり、さらに子育てまでしているのだ。

これはとてもダメだろう。「即刻やめないとだめだ」とのことである。確かに反省すべきところがある。忙しがりすぎていた。忙しいのは、自分の責任だ。私は、反省をするとそれなりに、軌道をかえる。当分は、子育てと本業に力を注ごう。投げ銭にしろやめはしないが、冷静になろう。何か一つだけでも、実現できればいいではないか。迷いもあるが、これでやってみようと思っている。拡散する方向ではなく、パワーを絞ろう。DTPを縮小しようと思うのもここに原因がある。

昨年の今頃、スタッフの変動があって、私たちは、遅くまで仕事をしないといけない状況が続いた。夜帰ると娘は、私の両親の布団にはいっている毎晩だった。それはとてもつらいことだった。そのストレスは、とても大きかった。今もいろいろとたいへんであることは変わらない。しかし、交替で面倒を見ることができるし、自転車で20分程度で帰ることもできる。マンションを借りるお金はかかるが、大事すべきものをみきわめる事が大事だ。

これから、1年は、本業に戻る方向に修正していく。戻るというのは決して後退するということではない。重要なことに力を集中するということである。というわけで、久しぶりに編集の作業で、深夜、2時になる。

1999年12月18日 DTPから軸足を移す理由

DTPを中心に本をこれまで、数年に渡って作ってきた。80パーセント以上の比率であった。しかしながら、方針を若干軌道修正する。その理由を述べる。

●マルチリンガルDTPの必要性がなくなったこと。

アップル社のランゲージキットの発売に協力し、『マックで中国語』を刊行した理由は、そもそも、日中日韓日ロシアなどの対照言語研究あるいは朝鮮語学などの研究書を出すためであった。Pagemakerとランゲージキットを使って本を作るという選択が一番妥当だと思われたからである。このためにかなりの出費と時間と労力を費やした。ところが、結果は、安い海賊版の方を買うという朝鮮学会での院生の発言に、今までかけてきたすべての労力に意味がないことを悟った。対照言語学の研究書をつくろうと思ったのであるが、その手間も苦労も意味がないのであるなら、仕方がない。

●コストの変化

DTPをはじめた当時よりも印刷所の組版経費が1頁あたり、ほぼ半額に低下した。経費削減と資金繰りの対処のために、自分でDTPを行ってきている。印刷所に頼めば、本ができたときにまとめて一括してしはらわなければならない。DTPであれば、支払うのは給料というかたちになり、分散することができる。しかし、状況が変わって、コストが大幅に減った結果、多少の借金は必要となるにしろ、専門の組版所に出して、スムーズに本を出すことを優先した方がいいのではないか、と思うにいたった。しかも、現在、三美印刷さんという国語学会の学会誌を作っている優秀な印刷所と仕事をすることができることになった。発音記号も特殊な記号も対応することも可能であるとのこと。優秀でコストが低いのなら、躊躇する必要はないだろう。

●仕事の比重の変更

印刷所に依頼すると組版にコストが掛かりすぎる内容のたとえば、多言語のものなど、結局は現状では松本がやるしかない状況になってしまうので、それでは本来の一番出すべき研究書の企画を立てる仕事が疎かになってしまう。そのような内容のものをスタッフにやってもらっても、地味で意味不明の仕事に圧倒されてしまう危険性があり、人を育てる時期には不可能であることを自覚したことによる。

組版の難しい内容のものは、しばらくは、控えるしかないであろう、と思う。日本語学、文法研究などのひつじ書房にとって、中心的なものを出すことに当分は力を注ごう。

1999年12月22日 非力なり、われは

ママチャリで、通勤しているとマウンテンバイクで、歩道を走り、チーンという音を出して、無言で威圧し、人をゴミのようによけていく連中が本当に腹が立つ。私は、歩道をマウンテンバイクで走る奴が嫌いだ。山を走れよ、あんたたち!せめて、すまなそうに走れよ。すいませんと言葉くらいかけろよ。パワーのあるものほど、優しく走るべきじゃないのか?

マウンテンバイクで歩道を傍若無人に走る人。マウンテンバイクには、後ろの座席がない。ものによっては、駐車するスタンドも付いていない。現代的な愚かな個人主義の結晶の様な気がする。走る非常識の様な気がする。これは年齢を問わない。ああ、うるさいと思って振り返ると、じじいもいれば、若者もいる。これは、後ろにカゴのついた自転車、子供を乗せる席の付いた自転車に乗っているものの意見だ。

中学生の頃、上り坂の道路をサイクリング自転車で登っていたとき、追い越していくトレーニング中の競輪の選手達の無言だが、素敵な視線を覚えているだけに、憤慨も大きい。鐘をチーンと鳴らしていく威圧的な姿からは、自転車を思考の自由さのイメージに使うことはできくなってしまう。あんな人は、山に行っても、川に行っても自己中心的な世界観をあちこち、持ち運ぶだけだろう。自由さのかけらもない。

さて、話しは変わるが、学校の先生は、あらかじめ、指示を出しておく。これとこれとすること、それはこういう意味があって、だから、こういうところに気を付けて。こういう失敗をよくするから、あらかじめ避けておきなさい、と。新京極では、カツアゲの高校生がいるから、かならず集団で行動すること。

親方の場合はどうだろう。たとえば、漆職人の場合。△△で漆を買ってこい。○○には寄るな。それだけだ。○○には、危ない誰かがいるなどということはいわない。あるいは、土を柔らかくなるまでこねておけ、とか。弟子が失敗しても、それは弟子が悪いのだ。この土つかえねえじゃねえか、と。弟子が、あなたが、ちゃんと注意点を言ってくれなかったから、あなたが悪い、とはいわないだろう。いえないだろう。できなかったら、できない方が悪い。できるまで、黙ってやるしかない。

これが、鍛冶屋なら危険もともなう。しかし、こまごまとした指導はしないだろう。けがをしたら、自分の責任だ。(これはいいすぎだろうが)職人の場合、何かを作ることがはっきりしている。それを作ることができるようになることが目的。マニュアルはない。マニュアルも作らない。多数決もない。素人の意見も聞かない。そんなことをしても意味がないから。あくまで、師匠をめざすこと。師匠もいずれライバルになるかも知れない弟子にそんなに親切には教えない。当然、指導もしない。気まぐれに教えるだけで、組織だっては教えはしない。勝手に学ぶことのできるものだけが、学ぶのだ。その点では厳しいだろう。

教えすぎると、それぞれの工程の意味を自分で理解できなくなる。考えなくなる。そうなるとさらにこまごまと教えなければいけなくなってしまう。教育依存症になる。でも、逆に言うとほおっておいているからといって見放したわけではないのだ。勝手に学べと言うことだ。ほめないからといって、だめだと思っているわけではないのだ。失敗したら、怒るだろうが、ぼちぼち程度では誉めない。ちょっといい程度では誉めない。ささいなことでは、指導もしない。もし、能力が不足しているのなら、何度でも繰り返しやる。何度もやる体力がないのなら…。知性よりも体力だ。能力より持続力だ。

たぶん、塾も含めた学校教育の失敗は指導しすぎることにあるだろう。見て習うものがないということで、教えることで、教えるべき価値をでっち上げたんだろう。これを作る、というのがあれば、そんなに教え込む教育は必要ないのだ。着るべき服があれば、その作り方を見習えばいい。

でも、私は何を作ろうとしているのだろう。それは新しい出版だ。見習うことは不可能だ。ここにはまだないのだから。それに、それは良くわからないものだ。それをことばで説明しても、分かった気になれても、分かることは難しい。これはたぶん、経験に根ざした感覚であり、なおかつ、経験を超えた理想だ。なおさら、教えるのは不可能で、経験の中で考え続けることのできる少数の限られた人にだけ可能なことだろう。努力のしがいはあるだろうが、鍛冶屋に弟子にはいるよりも危険かも知れない。というのは、出版界自体を壊してしまおう、ということだから。そんなことを考えているものはどこにもいないのだ。少なくとも私と同世代で、今までほとんどであったことがない。

同世代の人たち! 自壊していく出版の世界の中で、過去の遺産という夢だけをみているというのか。私には理解できないが、そういう人は、外がふぶきでも、布団の中から出ない方がいいということなのか。遺産をもっている人は、もっているなりの事情があるのだろうか。多くの人々は、経験を積むと、何もできなくなる。ほとんどの人がそうだ、残念ながら。でも、あたらしいことも過去の上にしかない。経験を積みながら、新しい何かをするということ。これはほとんどできないということが実証されている。そのジンクスをこえられるかは、精進しかない。それができる人はあくまであまり多くない。

といいながら、非力を反省している。もう少し私に能力があれば。

1999年12月26日 柳原書店、営業停止

取り次ぎで、そんなに大きくはないのだが、柳原書店というところがある。関西系の大阪方面に強い取次店である。本日、日曜日に出たら、弁護士からの手紙が来ており、なにかと思ったら、12月24日で営業を停止し、支払いも停止するという内容であった。

柳原さんは、大阪屋などが口座を開いてくれない時点で口座を開設してくれた。その点は恩義がある。また、彼らをひつじが儲けさせた、ということは申し訳ないがないだろう。一方、2年前の教科書採用の請求書の額を支払ってくれておらず、何度も請求したがらちがあかないので、今年度に入ってからは、納品を停止している常態ではあった。

このことが出版業界に与える影響は少ないだろうが、取次店もたちゆかなくなることがあるということだ。これはわれわれはこころした方がいい。しかし、なぜ、2年前くらいの段階で、自分を身売りしてしまうとか、そういうことができなかったのだろう。何もせず、死を待っているだけ。もう少し何かできなかったか。たとえば、筑摩は、文庫の流通を柳原を使っていた。そういうところが、縁組みをまとめるとかできなかったのだろうか。

トーハンと日販は、幕府のようなものだ。長州、薩摩、あるいは土佐藩の坂本竜馬よ、でてこい!

1999年12月27日 これから教育というよりもすでにマイナスの教育がされているのではないか

コンテンツIDフォーラムという団体(?)がある。デジタルコンテンツにID番号を振って、著作権(+引用、再利用権も)を明確にし、作り手の権利を考慮した形でのデジタルコンテンツの配信、流通を、可能にしようという組織である。実際に稼働しているというわけではなくて、どうやったら、画像データ、あるいは動画に音楽にそのような印を埋め込むかという技術的な問題から、議論している最中である。細かいことは、追ってさまざまな機会に述べることになるだろう。その組織の中に、柳原さんという弁護士の方が主催しているワーキンググループがあり、そこに参加させていただくことになった。

 その会議に出席することになったきっかけは、これも先日行われたハイパー研の別府湾会議に、投げ銭の推進をしているということで、公文さんに呼ばれて話しをしたということはすでに書いた。その発言させていただいた折、日経新聞の坪田さんにコンテンツの製作・発信・流通のことを考えるコンテンツIDフォーラムというのがあり、全体会議があるので、投げ銭のことを一言説明せよ、と言われ、出席した折に柳原さんに声を掛けていただいたのだ。

 先日、その会があって出席させていただいた。その中で、坂本龍一の「自由を我らに」の発言の資料があって、その中にアーティストの権利を守るには、最終的には、学校などでの教育の問題があり、これにはかなりの時間がかかるだろうという発言がのっていた。会議でもそのことに言及された。その時には言わなかったが、懇親会で私はこれから教育をするというのではなくて、すでに教育はなされているのではないか、しかもそれは、マイナスの教育がされているのだ、と述べた。これから、0地点から教育を始めるのではなく、現在はマイナスの教育がされていて、そのマイナスの地点からはじめないといけないということだ。

 もう少し分かりやすく言おう。義務教育では、生徒は、教科書を「無料」で受け取ることができる。さらに、先生から教わることも「無料」なのだ。教科書というコンテンツ、教育というコンテンツも生徒や親にとっては無料なのである。学校制度というさまざまな問題があるにしろ、それなりに高度な内容が無料で提供されているということ。これはコンテンツは無料である、という教育を人々にしているということになる。しかも、本当に冷静に考えるとこの日誌で何度も述べているように、義務教育では生徒一人頭一年間に80万円の税金が投入されている。先生だって、無料で授業をしているわけではなくて、きちんと給料をもらって生活することができているのだ。

 この仕組みは、異常な考えを投入する。

 かつて、和光大学のS先生という近代文学の研究者に、その時勤めていた出版社の『近代の短編』という教科書を教科書として採用することをすすめたときに、「2000円では、高いから文庫本を使っている」といわれて、非常に傷ついたことを思い出す。小さな出版社が賢明に編集したもの、それには近代文学研究者という同業者の知の汗が入っている。それよりも、大手出版社の本を使うというセンス。さらに、今なら反論できるが、当時はできなかったのだが、あなたの授業料はいったいいくらなのか? 一こま1000円以上であることは間違いない。私立大学なら、数千円を取っているのだ。一回しか買わない2000円の教科書を高いと言い、自分は、無給でも何でもないのに、自分の授業料に頭が行かない感覚。

 どうしてなんだろう。簡単に言うと「天引き」ということである。大学の授業料は最初に払わせられる。数十万から、たとえば、早稲田大学の場合、70万円近いはずだ。一回徴収されてしまうとそれは無色になってしまう。想像することすら、できない、ことのようだ。

 コンテンツを手に入れるのは無料であるという強固な幻想を植え付けているのが、学校教育だといって、間違いではないだろう。

 教育システムに加え、テレビというコンテンツは、見ている人がそれぞれの情報を自分でいちいち買っているという感覚がない。じっさいには広告費というもとで、取られているのに。ここにも「天引き」という魔力が働き、ほとんどの人には、見えないものになってしまう。

 教育システムとテレビという見事な「天引きシステム」によって、コンテンツは、無料であるかのように見えてしまう。これは見事なマイナスの教育ということになる。著作権を守るというと大げさだが、「作り手を生かす」仕組みというともっと分かりやすいだろう。このマイナスの仕組みを変えるために「投げ銭」を提唱しているわけだ。

 最近では、恐ろしいことがあった。ここでは個人名は出さないで、ある一般的な事例として紹介したい。ひつじ書房の本をほとんど真似て教科書を作った若い「研究者」がいる。問題を指摘すると、私は「非営利」でやっているから、問題はないだろうという。泥棒も、財を成さない程度なら、非営利といえるのか?ここでいう非営利とは何だろう。かれは、その大学の専任講師であり、給料をもらっていながら、それが、経済活動だとも思っていないようだ。あなたの授業を成立させているのは、その教科書なのではないのか? 授業を成立させることはすでに経済的な行為ではないのか?

 ここでは、逆のことが起きている、生徒を一回一回その都度煩わせなければ、天引きされて、自分の給料として振り込まれれば、経済的な活動をしていない、他人の血と汗の結晶でも、それを勝手に使っても、問題がないと感じるセンス。人の権利を侵していると感じない感覚。ここまで、ひどいセンスの人間は最近の生産物だろうが、そういう人をそういう感覚に育てるシステムがすでにあり、もう、ずっと機能しているのだ。

 コンテンツの制作者を尊重するということの教育は、今の既存の仕組みを破壊しないと無理だろう。このことは、本を一冊一冊売っていくような、そういう仕事をずっとしていないと、あるいは何かを作ってそれを丁寧に売っていくという所作を長年続けていないと分からないだろう。

 くりかえすが、天引きされるといくらでも払い、個別に買うときには、できるだけ出し渋るという気持ち。これは、税金と同じで、自分がその都度払っていないものは、感覚が麻痺してしまうのだ。となると、この怒りはサラリーマンではなく、自分で税金を納めなければならないアーティストや小さな会社を自分で経営しているSOHOの経営者でないとわからないことかもしれない。

 税金の天引きシステムを源泉徴収と呼ぶ。これは野口悠紀夫さんによると戦争中に戦争を遂行するために作られたシステムだと言う。未だに、日本人は、戦時下にあり、それを未だに変え得ていない。しかも、戦後の大企業と官公庁の組合を中心とした労働運動は、サラリーマンの特権をセットで作り上げてしまった。戦時下労働者の戦後における絶対化。

 作り手に回るはずの大学院生が、本を買わず、大学の本を何の気なしにコピーしてしまう。そんな仕組みのもとはそこにある。やはり、大学も一つの産業であるということに気が付かないといけないだろう。論文を書くことも経済行為であるという自覚。授業をすることも経済行為であると気が付くこと。これを市場原理の大学への導入と言うなかれ。すでに市場の中にあるのに、勝手に気が付かなかっただけなのだから。生きること、それは一つの経済行為なのだ。その経済の中身は問われなければならないにしろ、そのことを気が付かないことは、とてつもなく、おかしなことだ。

 教育からはじめるとしたら、数十年かかるだろう。だが、待っている必要はない。社会変化に期待するのではなく、個々人が自分で一回大道芸人に戻ること。観客の歓声と投げ銭に頭を傾け、耳を傾けること。そういう自立した芸人が、増えていくこと。自分がそうなること。

1999年12月30日 1999年の反省そして、2000年の抱負?

―冷静沈着な蛮勇で行こう―

振り返ると反省すべきことが多いのは、例年の通り。今年は本を出して、出版界・学問業界に対する問いかけを行った。これは、身ほど知らずともいえるが、少ない好意的な書評はあった。「鳩よ」や仲俣さんの朝日の夕刊の紹介、東京新聞の夕刊、未来の西谷さんの文章などとオンラインの河上さんや真島さん、辻さんのレビュー。

年の終わりになると今年の本として取り上げるシーンが多いが、ひとこともどこにもふれられていなかった。そういうものか。あまりがっかりすると偏屈爺になりそうなので、自制しないといけないとは思うものの、嫌らしい言い方をすると出版そのものの基盤に問題を投げかけているのに、こまごまとしたことには、反応するものであるのに、インフラについての議論は無視するのか。こんなことを書いているとだれかが、また、いらだっていると言ってくるかも知れないが、たしかにいらだっていることは事実だろう。

本という者の捉え方が、いわゆる業界人と私ではだいぶちがうのかもしれないとも思うようになった。今の業界の主流は「本の雑誌」と○○なんだなあ。それを否定する必要もないが、彼らはサブカルチャーだというかもしれないが、メインカルチャーになっているのである。とすると私は何カルチャー? 脇カルチャーかしら。

そんな中ではポシブルブッククラブのメーリングリストで、何人かの人が今年の収穫としてルネパブの刊行を取り上げてくれていたことには深く感謝したいし、ルネパブ公開読書会に参加してくれている方、主催していくれている英さんと山本さんにはお礼を申したい。こんなにいろいろの方の支援をもらっているのだから、既存の人々が無理解でもいらだつべきではないだろう。

また、多くの人はもしかしたらお手並み拝見ということで、見守っていてくれているのかもしれない。せっかちはよくない。

年末に柳原書店が営業を停止したりと小田さんの本の予言がますますあたりそうなかなりいろいろ問題がある出版事情である。これを乗り切るだけでもなかなか大変だが、やはり、問題点を指摘したり、具体的な改革案をだしたり、閉じこもらず積極的に出ていきたい。とはいうものの、今までとは少し方法を変えることにする。今までの数年間は、最終的にルネパブに結集したわけだが、自分で、個人に提唱するということだった。これからは、組織を動かすことを考えたい。実際に何かをする段階になって、一人の声に直接パワーが集まって動かしていくということを期待していたわけだが、個々の出版人にはほとんど期待できないことがわかったと思う。賢いはずの人々は、自分の足下のことは考えず、また、行動にもでない。出版人と言っても、おおかたの人々は普通のサラリーマンと何らかわることがない、ということだ。こういう言い方は、あまりにも尊大だし、そういうあんたは何と言われると返す言葉がないのだが、でも、多少の能書きを言ってもいいくらいは数年間やってきたと言ってもいいだろう。だめ?

多少嫌らしいかも知れないが、組織のトップの人々を巻き込んでいく方向に変えよう。取次の幹部とか、印刷所の幹部とか、経営に携わっている人を口説くことにしよう。草莽革命ではなく、長州藩と鹿児島藩を動かすという感じか。やだねえ。でも、仕方がない。吉田松陰から高杉晋作あるいは坂本龍馬に路線変更。

さて、そうなると自分で歩いて説得して歩くことになるが、自分でDTPをやっているあるいは新人にDTPで本を作ってもらっている余裕がなくなってしまう。本作りから学んでいる時に本の作り方が分かっているものが、教えないといけないからだ。このこと自体は非常に好きな仕事であるが、拘束され過ぎてしまう。本の作り方が分かっていてDTPをやるのなら、いいのだが、操作を自分で全部できてしまうとルールがわかりにくい。ここの作り方の意味が分かっていないと、すべてが選択肢になってしまう。そんなところに力を注ぐなと言ってもわからない。逐一教えることのできる体制というのも、くろしおさんみたいに、編集長が別にいればいいのだろうが、そうではないひつじでは、私に負荷が掛かりすぎる。やはり、一番手が掛かる時期は、印刷所にお願いした方がいいだろう。教育費込みだと考えれば、安いものである、といえよう。すいません、三美の稲田さん。よろしくお願いします。

また、印刷所に組んでもらえれば、自宅で仕事をするのも楽だ。こはいい。

今は過渡期でDTPで作っている途中のものもある、これが年度内に片づけば、私も含めて外に出よう。初心に返って、研究者の方々の研究室を訪れよう。そのためにも、経費は掛かっても、一時的にDTPの比重を下げる。組版は専門家にやってもらって、人と会うことに重点を置こう。人と会い、さらに本を買ってもらう。買ってもらうことが一番の批評だから。

認知言語学、障害と習得の言語学、ネットワークの言語学、テキスト論、談話論、脳の言語学、社会言語学などなど。さらに、小さな経営者になって気が付くこと。それが本になっていないことがおおい。だから、SOHOのための本を自分のためをも兼ねて作っていこう。機動力を付けること。さらに、オンライン言語学誌を創刊したい。高校生のための日本語入門、人にわかりやすくつたえるための言語学、人間関係のための言語学、言語学の可能性は広い。きちんとした研究をしている言語学者で文章が書ける人に、きちんとお願いをして、ひつじならではの、書籍を出していきたい。10年周年を迎える2000年は新しいテーマを見つける機動力を優先したい。さらに、原稿催促も強化されるであろう。本来のひつじのテーマすら十分に刊行できていない。手仕事に追われるのではなく、まめな連絡を心がけたい。

冷静沈着な蛮勇で行こう。

1999年もたいへんお世話になりました。2000年もどうかご贔屓に。2000年で10周年を迎えます。

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